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2008/10/08 (Wed) 33歳になりました。
2008/09/25 (Thu) ハプニング
2008/09/17 (Wed) 体言止めの魔力

明けて本日、誕生日を迎えました。

「33歳だってさおれ。うける」と友だちにメールしたら、
「いいじゃん。ゾロ目じゃん」と返されました。

老いを肯定するという方向性というか、意志というか、ドキュメンタリー。
そういう貴重な視点をいただいたように思います。

少なくとも20年前の想像とはちがっていました。

体力の衰えをはじめとした、数々のおっさん化現状を目の当たりにしながら、
残された時間の中で誰のために何ができるかを考える時間が増えました。

今までに起きたこと、考えたことがあれもこれもウソみたいにつながりはじめて、
ありがたかったり、感慨深かったりします。
だから、ちゃんと信じてくれた人に対して何かお返ししたくなるし、
これから信じてくれるまだ見ぬ人たちに何かサプライズを用意したくなります。

この人は周りをよくするなあと思ったら、その人のためにできるだけのことをやる。
そういう人に出会えたら本当にラッキーですよね? 男女とかじゃなく。
そういう人かどうかを判断していくということは、楽しくて切なくて人生のエッセンスが
詰まってると思うんだけども、僕はそういう意味ですごくラッキーです。

一方で、あれもこれもやるには時間が追いつかない、自分で定めた責任が果たせない、
どういう工夫が自分にはできるだろうということを最近考えます。
そういうわけで、いつもうまい方法がないか探しています。

美しい解法がうまい解法なのかは分からないけれども、欲を言えば、人の行動に弾みを
つけるささやかなサプライズを仕込みたいんです。
みんな気分やモチベーションに浮き沈みがあるものだし、自信がなくなりそうなときにも
機能するうれしいニュースを画策したいなあと夢想します。
「ま、いっか」を支援するというか。
なんだかんだいって「あ、そうか!」的な気持ちの切り替えってコンディションよくない
となかなか難しいという実感があるので。
とにかく、人のためにも未来の自分のためにも、サプライズを用意するということを
意識している昨今です。
そういうことを考えるというか、企むときが、とても充実した気持ちになることを自覚
しはじめた、33回目の誕生日です。

今後ともよろしくお願いします。

すれ違った女を見るために振り返ったのではない。

来ることのなかった未来を振り返ったのだ。









たまにはこういうのも書いていいんでしょ?知らんけど。

カテゴライズまわりの考えを言葉にしてみる。


前提としてカテゴライズというものを、「ある特定の属性の“過大評価”」に始まるものだとする。そして、同じ属性を持つ他のものといっしょに括ってみせる。それがカテゴライズだとしよう。(多くの“役に立つ”先入観により、属性の過大評価が行われるのはむしろ普通の状態だとして)その過大な評価のみをとりあえず排除してみる。

たとえば本は本でなく、車は車でないというように、最も括られやすいカテゴリ名を外す。モノが作られたそもそもの目的をあえて無化し、現在利用価値を認められている機能をはじめ、意味、内容、特徴を階層づけずに並べる。「そもそも」は大事だが、この場合、その大事な「そもそも」を忘れるよう努める。

そもそもを忘れるということは、変化を勘定に入れることでもある。つまり、モノや概念の登場から時間が流れ、利用者や情報の受け手の側での認識に変化が生じることを前提に、過去の本質ではなく現在の本質を特定することを目的にしている。

感覚的には、既存の認識に対してひとつ大きなウソをつくとも言えるし、極端に認識を緩めるとも言える。もちろん自己認識はバイアスにまみれているから、この場合のウソというのはひとつの試みである。欺きに対して欺きをもって相殺せしめるというひとつの解決策なのである。

とにかく、それによって対象とするものが含む属性、特徴がいったん解放され自由になる。
すると、今まで気付かなかった関連が姿を現し始めることがままある。その共通項が見えたら、おもいきって名づけてみる。(今までそうは呼んだことがないから、ちょっと恥じらいながら、そいつの名前を呼んでみる。) なんとも新鮮な響きがすることがある。おおよそそのような現象を指して、カテゴライズの妙と呼ぶ。その方法をカテゴリずらしと呼んだり、そのプロセスをカテゴリシャッフルと呼んだりする。そっちのほうが気分が盛り上がるから。

カテゴリずらしは、何かを印象付ける際のおもいきった“はったり”や、表現の遊びや冗談として使用されることが多いためか、一見、都合のいいように、不公平に、意図的に評価をズラす所作のようにみえる。しかし、方法論的には、既存の認識に対してひとつ大きなウソを一度ついてみたにすぎない。だから、属性のえこひいきと思しきこの営みは、どこかファンタジー創作に似ている。

ひとつの大きなウソと多くのリアリティの積み重ねにより、主題が引き立ち、伝わるべきが伝わる。ひとつの大きなウソというのは、自己認識への裏切りでありつつ、つかみであり、仕掛けである。それが結果的には「ある視点の提案」になっている。そして、リアリティの積み重ねというのは、「みんながなんとなく感じていたこと」に対応するのだろう。

もちろん予め感じている、知っているという事前認識が条件としてそろっていないと届くものも届かない。また、その「ある意味こうだよね?」という投げかけに対して、受け手がのるかそるかが発言者の好感度に左右されることが多い。
「ある意味こうだよね?」と問いかける前から、すでに答えは決まっているということだ。
人間はそういう生き物だ。何を言ったかではなく、誰が言ったかに大きく影響される。誰が言ったかで“ある意味”への許容度が変わってくるのだ。だから、ユーモラスであることやスタイリッシュであるなどの魅力はしばしばよい結果を得る。実績がある、説得力がある、圧倒的といったある種“飲まれた”状態、オーラを感じさせる状態もそうだろう。
これらのことを踏まえて言うならば、カテゴリずらしはショーだと思ったほうがよさそうだ。

ザ・再定義ショウ。

ショーでは出演者選びが重要であるように、ザ・再定義ショウでも発言者を選ぶ感覚が必要だろう。ウガンダが言ったからこその「カレーは飲み物」なのだ。

ここのところ、モンスターエンジンの神様コントばかり観ている。体言止めの魔法にかかったように笑う。毎晩同じネタで笑う。そういえばここをはじめたきっかけも体言止めについての気づきだった。体言止めは、力強さと余韻を併せ持つ。その魔力をなんとかほかの言葉で言い表してみるのが、今日の試み。言い切ることの力強さは心地よさを生み、残された余韻はイメージの連鎖を呼び起こす予感を感じさせるのだろう。ベクトルとしては、ともに“快”にはちがいない。前者については、そういうことなんだろうと思えるが、問題は後者だ。つまり余韻の秘密について掘り下げてみたい。イメージの連鎖を呼び起こす予感とは何か。イメージの拡げやすさから感じられる可能性の存在とでもいおうか。名詞で終わるということは、動詞で終わるのに比べて、その意味・文脈を主語から切り離しやすく、文脈独立的とでもいうべき性質があるように感じられる。さらに換言するなら、誰のものでもなく“みんなのもの”により近いもの、共有可能なもの、自分にも関係のあるもの、自分事化しやすいもの、自分に所属させうるもの、放っておけないもの、人の頭の中でつながりを生みやすく、個人的体験に接続しやすいもの、とでもしておく。

専業であるところのサプライズ・プランナーという職業が本当にあったとして、通常では考えられないようなサプライズを、通常では考えられないようなスケールで仕込んでいたとして。

職業柄、決して自身の職務を語ることを許されず、名刺には違う職業が記されている。雇用契約時には、他言しないと判を押す。面接に受かったときも、周囲には落ちたことにするよう指示される。それもこれも完璧なサプライズのため。

そのへんのケアなしだと、一枚噛んでるのがバレた時点でアウトになる恐れがあるし、すぐ名前が検索される世の中だからそれくらい当然の義務とされる業界。そもそもサプライズじゃなくなるとか、純度が落ちるとかいうことを極端に嫌うという価値観で生きている。

肩書きなしで仕事どうやってとってくるんだといわれたら、「あ〜、きみ、そっちの人?」とか「そういうノリの事務所に移れば?」とか言われる。

死に際にようやくカミングアウトを許されたらまだましなほうで、中には没後50年経って初めて何者であったかを公表することを許す事務所もある。

そして実際に50年経った頃には、誰も当人を知らないため、「実はこの人、サプライズ・プランナーだったんです!」と言ったところで、「へ〜」と返されるという悲劇。

あろうことか「へ〜」。

サプライズ・プランナーとしては、一番言われてはいけないし、また言われたくもない酷なセリフだ。
まさか自分がそんな扱いを受けるとは思ってもみなかった元職業人はあの世で叫ぶ。
「人生費やした挙句にこんなこと言われるなんて、ホントびっくりだよ」

そこではたと気づくのだ。
もっとも尊いサプライズとは、未来の自分に向けて自分で仕込むサプライズなのだと。


おしまい。


関連記事:
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本当の負けず嫌い

先日、酒の場で聞いた話。

何年か前に友人がチベットのラサ近郊で、
現地の子供たちとサッカーをして遊んだそうな。

何かの跡地を利用したサッカーコートは、けっこうな勾配がついており、
一方のゴールが坂の上、一方のゴールが坂の下にあるという一風変わったコート。

まず、自陣を坂の上にとるか坂の下にとるかをじゃんけんで決める。
ここで、勝ったほうが坂の上を自陣にしそうなものだが、違う。
坂の下を自分たちのゴールに選ぶのが“正解”なのだそうだ。

なぜかというと、シュートが枠外に外れた場合、ボールを取りに走るのは
蹴った本人だから。坂の上側から外したら、差し詰め罰ゲームといったところだ。
どこまでもボールが転がっていくし、戻ってくるときも坂道ダッシュをやらされるようなもの。
しかも、チベットは高地だから体力の消耗がなおのこと激しくなる。

坂の上から重力を味方にして攻め上がり、いつもより強めのシュートが打てるかも。
そんな目先のアドバンテージに惑わされた旅行者が、このひっかけ問題にひっかかっては、
くたくたになり、次の日また「今日も遊ぼうよ」と子供たちに部屋のベルをならされるのだそうだ。

行ったことのない国から持ち帰られた体験談を聞くのは楽しい。
とりわけ、子供のひとなつっこさにまつわる話はあったかい気持ちになる。
そしてどうしたことか、私は今、昔の思い出話をした気分になっている。
写真を見せてもらってはいないが、すでに見た気すらしてきた。
もはや、そこでサッカーをした気にすらなってきた。

異国でも、ほほえましく生き生きした風景に出会えることを思うと、
とてもほっとした気持ちになれる。

そのような手順で想像すると、中国政府の所業の浅はかさが目に余ってしかたない。


私は不勉強につき、この手の問題にはブログなどで触れられたタマではないのだが、一度くらい触れておきたかったので、えいやっとアップしてみる。

テルミンでスーパーマリオなんだね。


でね、なんだろね、このずいぶんハイレベルなんだろうに、
力の抜けてしまうパーフォーマンス。
適度な揺らぎの中にも絶妙な安定感。

とりあえずこんな声で鳴くペットがほしい。

名前はユルミンにしよう。
残念なことに、何科の動物なのか皆目見当もつかない。

しかし、その動物がどんな姿かたちをしているのかというと、
おそらくは演奏者のよく動くその右手に光を当てたときに、
後ろの壁に映る影絵こそ、わがいとしきユルミンの面影
なのにちがいないと思うのだ。

最近"おすすめ"されたいという感情が強まってきたので、
無料のストリーミング・ラジオ・サービスLast.fmに登録してみた。
Last.fm (http://www.lastfm.jp/)
lastfm.jpg

無料&音声広告なしで350万曲以上と謳われているので、
mixiradioが無料10万曲なのに比べると、"おすすめ"してくる
潜在能力が高いということになる。

テイストの似たアーティストつながりとか、タグつながりとか、
リスナーつながりとか、いろんな方法で"おすすめ"してくる。
「こういうの好きでしょ?」の精度を高めるために、ソフトウェア
もダウンロードしてみた。
なので、iTunesで聴いてる曲名がLast.fmに転送されることに
なった。

最近こういうWEBサービスがある種人間みたいに思えてきてて、
自分をより知ってもらおうとするようになっている自分に気づく。

サプライズだとか自己矛盾の解消だとかとサービスの関係に
ついて考えをめぐらせてるからかも。今回はこのへん省略。
まあ、知ってもらわないと、いいご意見いただけないよなあと。
あと、友だちには金は取られないし、気が利いてて詳しい友
だちに意見を聞きたい。そういうのともいっしょ。

というわけで、Last.fmとちょっと仲良くしてみようと思う。

ちょっと時間がたってしまったけど、こないだのAfflictionでのヒョードルの試合は興奮した。
曲がりなりにも元UFC王者のティム・シルビアに、何もさせずに36秒の秒殺劇。

やはりあの俊敏さはネコ科のものだ。
参考資料がコチラ。らばQ - 子猫のあまりの反応速度に驚愕してしまう映像(動画)


ちなみに私は、この動画をヒョードルの試合だと思って5回連続で見たのだが、
4回目からはヒョードルに見えた。
対戦相手のシルビアも「あいつは人間じゃない」と言ってたことだし、
彼をヒト科に分類するのはそろそろやめにして、ネコ科に分類しようじゃないか。

関連記事:ヒョードルの笑顔について

せっかくカテゴリについての興味が再燃したので、これを機に今週はカテゴリを考える週にしたいと思います。
もっというと、「カテゴライズの妙」について。
現時点で結論があるわけでもないですが、考えてることをそのまんま書いてみます。

数年くらい前からなんとなく、「カテゴリの妙とネーミングの妙」に潜む魔力(笑)に興味がありました。
たとえば、サンマルクカフェの「ランチ」。
サンマルクカフェはチョコクロの店だと思ってたので、選択肢がたくさんある中でわざわざそこでランチしようとは思ってなかったのですが、店頭に「ランチ」と貼り出してあったために「あ、ランチなんだ」と、つい店に入ってしまって、その後も何度かサンマルクカフェで「ランチ」をしました。いつものメニューの組合せでしかないのに。
眼中になかったのにカテゴリを堂々と言い切られちゃってることで、“つい”選択肢に入れてしまったんです。

「カテゴリずらし」とでもいうような手法が目をひくことが時々あって、たとえば「トヨタのMUSIC PLAYER」もそうでした。



NIKEがやってる清原選手を応援するサイト「NEVER SAY NEVERや!」のおもしろブログパーツでも、同じようにカテゴリずらしが効いてます。
kiyobp


と、今日はこれくらいまでで。
興味の方向性としては、適切なカテゴリを割り振ることではなくて、どちらかというと“不適切な”カテゴリを割り振ることで何かしらの成果を生むような技術についてですね。一言でいうと、サプライズの技術について。たぶんそっち。


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